2013年1月20日日曜日

2013年の写真展・写真集

2013年に展覧会をしたり、写真集を出版した写真家で、個人的に気になった人をピックアップしてみました。



■クリス・バック(Chris Buck)
・展示「Presence」(Foley Gallery, ニューヨーク)
・関連サイト: http://www.foleygallery.com/exhibitions/focus/chris_buck_presence/
・作家サイト: http://www.chrisbuck.com/presence/

クリス・バックの写真のタイトルには、シンディ・シャーマン、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニクラスなど、文化人や有名人の名前が並ぶが、実際に本人は写っていないため、通常のポートレートとは趣が異なる。しかし、周辺の事物が、その有名人の存在感を浮かびあがらせる。不在だが、逆にそのキャラクターや存在を強く意識させるという意味では、ポートレートの一つの形と言えなくもない。一方で、タイトルから連想される有名人の姿を、我々が勝手に写真の中に事物に重ね合わせているといえなくもない。果たして、これは本当に有名人と関係のある写真なのか、それとも写真家が我々をからかのようにつけたタイトルがその写真をそのように見せてしまうのか。奇妙な妄想がとまらなくなる。




■ジム・ノートン(Jim Naughten)
・展示「Conflict and Costume」(KLOMPCHING GALLERY, ニューヨーク)
・関連サイト: http://www.klompching.com/kcg/currentthumbs.htm
・作家サイト: http://www.jimnaughten.com/project/hereros/

ドイツの植民地化の影響により、ヘレロ族の女性は、宗主国の風俗を反映したヨーロッパの貴婦人のようなドレスを身につけるようになった。しかし、次第に形態が変化し、独自の美意識によって、アレンジを加え、独特の民族衣装へと発展させてきた。遠くから見ると、一見、欧州風だが、よく見ると、頭に牛角のような帽子をつけ、その布地は、美しい色彩にあふれている。また、男性も旧ドイツ軍の制服のような衣装を身に着けている。土地や牛を奪われたヘレロ族は、20世紀初頭に蜂起したが、ドイツに鎮圧され、多くの犠牲者を出した(ヘレロ大虐殺)。そんなヘレロ族にとっては、起源は忌まわしい植民地の産物とはいえ、自分たちの一族の歴史と結束を示す、誇りの衣装となっている。
ジム・ノーテンは、そんなねじれた文化の象徴である、ヘレロ族の衣装に注目し、人々を砂漠に立たせ、日常生活から切り離した上で、肖像写真を撮っている。誇りを持って、カメラの前に立ち、その独特の民族衣装を披露する人々と、その影に隠れた矛盾とねじれが、静かな写真の中で拮抗している。




■シャルル・ネガー(Charles Nègre)
・展示「Charles Nègre」(Hans P. Kraus, Jr. Fine Photographs, ニューヨーク)
・関連サイト: http://fr.wikipedia.org/wiki/Charles_N%C3%A8gre
・関連サイト: http://sunpictures.com/

写真黎明期の1850年代にフランスで活躍した、シャルル・ネガー(Charles Nègre)の写真展。1820年、南仏のグラースで生まれたシャルル・ネガー(日本ではシャルル・ネーグルという紹介も)は、画家ポール・ドラロシュのもとで絵画を学び、同じく生徒であったギュスターヴ・ル・グレイから、絵画の下絵として写真を利用することを勧められたことが契機に、写真に傾倒。ダゲレオタイプからカロタイプに移行しながら、1840年代から1860年代にかけてフランスの写真を数多く撮影。1859年には、フランス皇后ウジェニーの依頼で、労働者のための病院を撮影。その他、政府の依頼によりノートルダム大聖堂なども撮影。1861年には、生まれ故郷であるグラース近くのニースに住み、教職に就きながら、開設したスタジオで写真撮影を行っていた。




■デイヴィッド・ナーデル(David Nadel)
・展示「Burns II」(Sasha Wolf Gallery, ニューヨーク)
・関連サイト: http://sashawolf.com/exhibitions/burns-ii/

デイヴィッド・ナーデルは、5年に渡り、冬のモンタナで、野火に焼かれた森を大判カメラで撮影してきた。以前は濃厚な緑が覆い茂っていた森に残る黒い木と、地面を覆う白い雪が作り出すコントラストは、大判カメラで詳細に記録されたカラーの写真を、抽象的なモノクロの鉛筆画のように変貌させる。絵画的に描いたのではなく、カメラの能力を発揮して、詳細に捉えたカラー写真が、逆に絵画的に見えてしまうのが面白い。



■ ブレット・ファン・オルト(Brett Van Ort)
・写真集『Minescape』(Daylight Books)
・関連サイト: http://www.brettvanort.com/minescape/
・作家サイト: http://www.brettvanort.com

ブレット・ファン・オルト(Brett Van Ort)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの美しい自然風景を写真におさめたが、そこは紛争時に地雷が埋設された場所である。一見平和で自然のように見える風景が、実は人工的で危険な場所であることを、我々は情報によって知ることはできるが、写真からは伺い知ることができない。写真は風景の表層をかすめとり、その美しさを見せる一方で、その奥深くに埋もれている何かについてまでは見せることができない。見えているのに見えないというのは、まるで地雷という存在そのものであり、まさしくこれらの風景写真は、「Minescape(地雷景)」であるといえる。
オルトは、写真集で、美しい自然風景と、その下に埋設された地雷、そしてその地雷によって傷ついた人のために開発された義肢を並べた構成にしている。人を殺傷するための技術がある一方で、人を再生させる技術があり、それはどちらも共通の人間の能力であるというのが興味深い。また、正体が分からないように、自然に見せるという意味でいえば、地雷と義肢もまた共通点がある。このように相反しながらも、根源的にはどこか繋がっているという矛盾が、オルトの写真を面白くしている。展覧会では、美しい風景写真の裏側に、地雷が隠されている仕組みとなっていた。

Minescape Installation from Brett Van Ort on Vimeo.




■ ローラ・アルヴァレス・ブラーボ(Lola Álvarez Bravo)
・写真集『Lola Álvarez Bravo and the Photography of an Era. 』(Rm/Museo Casa Estudio Diego Rivera y Frida Ka)
・関連サイト: http://en.wikipedia.org/wiki/Lola_Alvarez_Bravo
・関連サイト: http://ccp.uair.arizona.edu/item/21399

メキシコの写真家であるローラ・アルヴァレス・ブラーボは、フォトモンタージュのパイオニアとして、またフリーダ・カーロやディエゴ・リヴェラなどのメキシコ革命後のルネサンス芸術家たちとの交流や、その肖像写真の撮影で知られている。
1907年生まれのローラは、18歳の時、写真家のマヌエル・アルヴァレス・ブラーボと出会い、結婚した。彼女は、夫であるマヌエルに従い、フィルム現像や暗室でのプリント作業を覚え、自宅に開いた写真撮影ギャラリーのアシスタントもつとめた。1934年に離婚した後も、アルヴァレス・ブラーボ姓を名乗った。
子育てのために広告やファッション写真など商業写真を撮影する傍ら、メキシコの村や街での日常生活のドキュメンタリーを作ったり、実験的なフォトモンタージュを制作した。光と影を効果的に使った、その大胆かつ抽象的な構成は、彼女の才能を表していた。1951年にはアートギャラリーを作り、フリーダ・カーロのメキシコにおける初の展覧会を開いたり、写真教育に携わるなどして、芸術の普及に努めた。
彼女の作品は、CCPにアーカイブされている。本書は、巡回展で紹介された彼女の作品や経歴のほか、その多くが初公開となるモンタージュ写真などを含んでいる。





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