2012年に展覧会をしたり、写真集を出版した写真家で、個人的に気になった人をピックアップしてみました。
■アヌーク・クラトフ(Anouk Kruithof)
・展示「Untitled(I've taken too many photos /I've never taken a photo)」(Tour des Templiers, historic center for the Hyères 2012 International Festival of Fashion and Photography)
・関連サイト: http://www.villanoailles-hyeres.com/hyeres2012/index_en.php?cat_id=5&id=50
・関連サイト: http://lightbox.time.com/2012/05/25/anouk-kruithof/#1
・作家サイト: http://www.anoukkruithof.nl/
天井の写真を鏡に写して見る不思議な仕掛けの展示。オランダのアーティスト アヌーク・クラトフの新作「"Untitled(I’ve taken too many photos /I’ve never taken a photo)"」。「私はたくさん写真を撮ってきた/私は写真を撮ったことがない」というタイトルが示す通り、クラトフは自分が撮った写真のセレクトを、一度も写真を撮ったことがないという近所の青年に行わせ、その純粋な感性に任せた。そのようにして選ばれた写真は、天井に飾られ、鑑賞者は手元に持った鏡に映して見るようになっている。数十枚の写真のうち、どの写真を、どのような向きで、どのように組み合わせて見るかは映す人の感性に委ねられている。この展示のコンセプトについて、クラトフは「新しいことをするからには、私は驚きを感じたいし、まだ見た事がないようなものを作りたい。そうでなければ、私にとって何の意味もなさないでしょう」と語っている。非常にアナログな手法ながらも、撮る人、選ぶ人、見る人の相互作用で、まったく新しい写真と鑑賞体験を作ることができるのは面白い。
■アレックス・プラガー(Alex Prager)
・展示「Compulsion(衝動)」(Foam, アムステルダム)
・関連サイト: http://foam.org/press/2012/alex-prager
・作家サイト: http://www.alexprager.com/
犯罪や事件の現場を撮影したNYのウィジー、メキシコのエンリケ・メティニデスの写真や、「アンダルシアの犬」などのシュールな映画に触発されたという新作は、衝撃的で謎めいたイメージがスペクタクルのように繰り広げられる。突然の異常事態に巻き込まれた人々を見る私たちは、自分もそれに巻き込まれたらどうしようという不安な気持ちになる一方で、見てはいけないものを、映画の観客のように安全な立場から思わず覗き見したくなるという複雑な気持ちになる。衝撃的な写真を見るということは、人を不安な気持ちにさせる一方で、少なくてもそれを見ている間は、自分は事件に巻き込まれておらず、安心な場所にいるということを再確認させてくれる。様々なショッキングな映像に囲まれ、育ってきた現代人は、どこか心に不安を感じているからこそ、逆にプラガーの写真を見て安心したくなるのかもしれない。ちなみに電線に絡まった女性の死体は、電気を盗もうとして感電死した人々を撮ったエンリケ・メティニデスの写真(Enrique Metinides)を思い出さずにはいられない。すべて映画のようでもあるし、映画が現実を真似ているだけともいえなくない。
■ヴィヴィアン・サッセン(Viviane Sassen)
・写真展「Parasomnia(睡眠時異常行動)」(STEVENSON, ケープタウン)
・関連サイト: http://www.stevenson.info/exhibitions/sassen/index2012.html
・作家サイト: http://www.vivianesassen.com/
アフリカ育ちのオランダ人サッセンがアフリカ各国を旅して撮影した写真群。鮮やかな色彩や、強い日差しが作る光と影の中で、どこか夢の中を彷徨い歩いているような不思議な情景が広がる。それはまるで、タイトルの「睡眠時異常行動」に含まれる夢遊病の世界を思わせる。シリーズのタイトルと同名の写真「Parasomnia」では、少年が椅子に座っているようで、よく見ると実は地面に横たわっている。どこか変だなという感覚はあるのに、気づくのには時間がかかる。でも不思議と、その変な世界が普通に感じられる。
■キャンディス・ガウディーアニ(Candace Gaudiani)
・写真集『Between Destinations(目的地の間で) 』(Kehrer Verlag Heidelberg)
・関連サイト: http://www.betweendestinations.com/
・作家サイト: http://candacegaudiani.com/
12歳の時までに、家族と一緒に、自動車と列車で全米48州を訪れたことがあるというキャンディス・ガウディアーニは、自身の写真のテーマとして、列車の車窓からの風景を選択した。窓枠によってフレーミングされた風景は、それが目的地の間の場所ということもあり、地名や意味に縛り付けられておらず、軽やかであり、また目の前から過ぎ去って行くものであるせいか、どこか感傷的で美しい。過去7年間に渡って撮影したという、ガウディアーニの記憶の中を辿るような旅行の写真が、また同じく旅をする私たちの記憶の風景とどこか重なるところは面白い。車窓のカーテンは、風景を劇場の舞台のように見せる装置ともなる。また車内を写さず、ひたすら列車の窓という枠を通して外を見る時、まるで私たちが列車という暗箱カメラの中にいて、アメリカ中を撮影しているかのような気分にさせられる。
■スティーヴン・カッツマン(Steven Katzman)
・写真展「HUMAN ABSTRACT」(MASTERS & PELAVIN, ニューヨーク)
・関連サイト: http://masterspelavin.com/humanabstract-checklist/
・作家サイト: http://stevenkatzmanphotography.com/
独学の写真家カッツマンは、死や信仰などの宗教的な題材を、長年に渡って写真で表現してきた。今展がNYでの初個展。十字架と共に撮影した赤ちゃんの痛ましい検死体、火葬場で今まさに焼かれている遺体、標本体と花のコラージュ、忘我の境地にいる宗教信者のポートレートなど、死や宗教を題材にした写真が多い。しかし、ただ刺激的なだけではなく、ジョエル=ピーター・ウィトキンやダイアン・アーバスの一部の写真にあるような静謐で神々しい感じや、写真の黎明期、死を記録するために撮影された古典的な写真を思い起こさせるなど、印象的である。
■チャールズ・ウッダード(Charles Woodard)
・『The History of Photography in Pen & Ink』(A-Jump Books)
・関連サイト: http://www.a-jumpbooks.com/Woodard_History2.html
チャールズ・ウッダードは、ニューヨークのイサカ・カレッジで、写真を学ぶ大学生だった。写真をベースとしたアーティスト:ニック・ミュラーの写真史コースを受講した際、試験勉強のために、19世紀から20世紀にかけての写真史の傑作群を、手書きのメモで残した(プリンターを持っていなかったからとのこと)。写真史を知らない人から見ると、何が書いてあるのか全く分からないと思うが、その作品を知っていると、こんなメモでも、意外とどの作品かが分かってしまうから不思議だ。もしかしたら自分自身も、写真史の傑作から一部の要素だけをこんなコミカルにデフォルメして覚えているのかもしれない。よく見ると細部が全然違うけれど、全体で見ると意外と似ている印象がある。
■ビル・マンボ(Bill Manbo)
・写真集『Colors of Confinement: Rare Kodachrome Photographs of Japanese American Incarceration in World War II』(The University of North Carolina Press )
・関連サイト: http://www.nytimes.com/slideshow/2012/06/24/sunday-review/24CAMP.html
・関連サイト: http://uncpress.unc.edu/browse/author_interview?title_id=3075
第二次世界大戦中の1942年に、ワイオミング州のハートマウンテン移住センターに強制収容された、日系2世のビル・マンボが撮影していたカラー写真が見つかり、2012年8月に写真集として出版された。同じく日系アメリカ人の強制収容所を撮影したアンセル・アダムスのモノクロ写真とは違い、そのカラー写真は、収容所内の生活を色鮮やかに伝えてくる。アダムスの写真が、日本的な文化を感じさせるものが少ないのに比べ、ビル・マンボの写真では、着物姿での盆踊りや相撲など、アメリカ人でありながらも、日系であることを隠し、忌避しているようには見えない。西海岸のカリフォルニア州と違って、若干内陸のワイオミング州ということもあってか、施設内ではカメラの所持が許されていたという。撮られる人々がどこかリラックスしていて、生活臭が感じられるのはそのせいだろうか.
カメラはツァイス・コンタックス、三脚は収容所まわりの木材と、トイレにあった金属類を利用して自作したという。写真集のタイトルは『Colors of Confinement(閉じ込められた色)』。ポジフィルムのコダクロームは、70年以上たっても色鮮やかに、当時の様子を写真に閉じ込めていた。"Confinement"には、1992年に亡くなるまで自宅に保管し、その後もずっと表に出ていなかったという意味もあるのだろう。著者のエリック・L・ミュラーさんのインタビューによると、他にもこのような写真の発見は間違いなくあるのでは、とのこと。
■Faking It Manipulated Photography Before Photoshop(フォトショップ発明以前の操作された偽写真)
・写真展「Faking It Manipulated Photography Before Photoshop(フォトショップ発明以前の操作された偽写真)」(The Metropolitan Museum of Art(メトロポリタン美術館))
・関連サイト: http://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2012/faking-it
画像処理ソフト「Adobe Photoshop(アドビ・フォトショップ)」が1990年に発売されてから20年以上が経過し、現在では、写真をデジタルで操作し、修正することは簡単で当たり前のこととなった。しかし、写真を操作し、偽写真を作りたいという願いは、デジタルのフォトショップが発明されるよりずっと以前の写真術の黎明期からあった。新しいビジュアルを作るアートの世界だけでなく、ニュースやエンターテイメントの世界でも、写真の操作は行われた。この展覧会では、デジタル写真以前のアナログ時代に作られた偽写真の代表作や、多重露光、モンタージュ写真などの様々な技法も紹介し、操作された写真によるもう一つの写真史を提示する。写真は真実であるという認識を悪用して真実を偽造する偽写真もあれば、真実をより伝えるために操作する偽写真もあるというのも興味深い。展覧会案内に書かれている「本展覧会は、アドビによって実現の運びとなりました。(The exhibition is made possible by Adobe.)」というのも、二重の意味に取れて面白い。
■FROM HERE ON(ここから先)
・写真展「FROM HERE ON(ここから先)」(FotoMuseum Provincie Antwerpen(ベルギー・アントウェルペン州立写真美術館))
・関連サイト: http://www.fotomuseum.be/en/exhibition/
・作家サイト: http://www.corinnevionnet.com/site/
・作家サイト: http://www.willempopelier.nl/
・作家サイト: http://mishka.lockandhenner.com/blog/
・作家サイト: http://www.penelopeumbrico.net/
・関連サイト: http://www.yossimilo.com/artists/doug-rickard/
グーグルアースやストリートビュー、Flickrや画像検索などを使って写真作品を作るアーティストたちを一堂に集めた展覧会「FROM HERE ON(ここから先)」が、ベルギー・アントウェルペン州立写真美術館で開かれた。
スイスの写真家コリーヌ・ヴィオネット(Corinne Vionnet)は、世界の有名観光地の写真を、グーグル画像検索で収集し、それを重ね合わせ、人々の記憶や視覚体験の集合体として風景を再構築した作品を出品。一枚の写真に対して、2000枚以上の写真をDLし、重ね合わせることも。塗り重ねながらイメージを作る様は、写真というより絵画のようでもある。
オランダのウィレム・ポピラー(Willem Popelier)は、ショールームに展示されているPCのウェブカメラが撮影した、一般人のポートレートを収集。まさかこのような形で残されるとは思っていないせいか、人々の素の姿が写っている。記念写真でも、盗撮写真でもない、その中間の不思議なポジションにある「SHOWROOM」シリーズの写真は、新しい肖像写真の姿を私たちに見せてくれる。
ミシカ・ヘンネル(Mishka Henner)は、Googleが提供する衛星写真の中で、政治的もしくは軍事的理由で、あえてピクセルでぼかされた土地を集めたシリーズ「Dutch Landscapses」を制作。ぱっと見ると、精緻な衛星写真の中に存在する幾何学模様が美しいが、風景の中に隠された人工的な力も同時に透けて見える。低地を人工的に作り変え発展してきたオランダは、21世紀の今も、風土の中に新しい形で、その歴史が継承されている。
ペネロピ・アンブリコ(Penelope Umbrico)は、「Flickr」や、ショッピングサイトの「eBay」などから、特定のキーワードで検索して表れた写真を収集して並べることで、現代の私たちが膨大な量のイメージや商品に囲まれている事を可視化する。Flickrにアップされた太陽の写真をアンブリコが収集してカタログ化した作品も。似てるようでどれも違うが、これだけの数になってくると、誰がいつどこで撮ったかなんて事はどうでもよくなってくる。そもそももう太陽の写真なんていらないんじゃないか、果たしてこれ以上、人類が太陽の写真を撮る事に何の意味があるのか、データベースにある分だけで充分なのではという気にもさせられる。イメージの飽和化が、見る人を食傷気味にさせる。
ダグ・リッカード(Doug Rickard)は、グーグルストリートビューを使って、アメリカ郊外をスナップした作品を制作。 新しい技術に依存しているが、ロードムービーのように移動する車から、カメラという機械が、偶然に捉えた風景を集めるという意味では、 従来のアメリカの「路上」を撮影した写真家と同じ手法を踏襲しているといえる。Googleストリートビューのあまり鮮明でない画質や色味もまた1970年代以降のスタンフェルドや、ウィノグランドのカラー写真の伝統を思い出させる。 シリーズのタイトルは「A New American Picture」。各写真のタイトルには位置情報のコード、都市の名前、Googleが撮影した日付、そしてそれをリカードが撮影した日付が並ぶ。
これらの作家以外にも、同じようにインターネットやSNSなどを利用して、写真作品を制作するアーティストが出品している。伝統的な写真術から離れた今展では、著作権やプライバシーも同時に問題となってくるであろう。今展のキュレーターを務めるのは、マグナムのマーティン・パー、1980年代からファウンドフォトを題材にしてきたヨアヒム・シュミット、同じくファウンドフォトの写真集を手がけてきたエリック・ケッセルスなど、他数名。キュレーターのエリック・ケッセルス自身も、昨年、Flickrにアップされた1日24時間分の写真をプリントアウトし、現代人が膨大な写真によって、情報の洪水に埋もれていく様をインスタレーションで表現して見せてくれた。
■PERIPHERAL VIEWS: STATES OF AMERICA
・写真展「PERIPHERAL VIEWS: STATES OF AMERICA(ペリフェラル・ビュー、周辺の視界、アメリカの今)」(シカゴ現代写真美術館)
・関連サイト: http://www.mocp.org/exhibitions/2012/07/peripheral-views.php
・作家サイト: http://mimages.com/
・作家サイト: http://www.flickr.com/photos/80818837@N00/
・作家サイト: http://www.williammebane.com/
アメリカの今を見つめる写真家たちの作品を集めた展覧会「PERIPHERAL VIEWS: STATES OF AMERICA(ペリフェラル・ビュー、周辺の視界、アメリカの今)」が、シカゴの現代写真美術館(MoCP)で開催された。2012年の今、アメリカ全てを包含するような写真表現の不可能性を反映し、この展覧会では、様々な場所、様々な写真家、様々な手法によって撮られた周辺のイメージを集めることで、結果的にアメリカの今を見つめようとする意図で企画された。集められた「周辺の視界」は想像していた通り様々であり、一概にどれかだけで現在のアメリカだと言えないため、アメリカ全てを包含するような写真表現の不可能性が、この展覧会によって改めて強調されたともいえる。今回の出展作家の数人は、グーグルやテレビ、広告などが提供する画像を引用し、また何人かの作家の作品は、現代の憂うべき問題と、過去の理想に対する希望が一緒になり、どこか郷愁を感じさせる作品になっている。
マイケル・メルゲン(Michael Mergen)は、ホワイトハウスの住所として一般に広く知られる「ペンシルベニア通り1600番地」を題材に、それと同じ名前を持つ地を訪ねて全米を撮影。ホワイトハウスというアメリカを象徴する中心地は美しく立派に保たれている一方、名前だけは同じである全米各地の「ペンシルベニア通り1600番地」は廃墟だったり、荒廃しているところも。作家の感性とは関係なく、ひとつの住所を鍵に、無作為に選ばれた風景写真を通じて、私たちはアメリカの今の風景を見ることができる。
匿名のアーティスト集団オブジェクト・オレンジ(Object Orange)は、デトロイトの廃屋をオレンジ色のペンキで塗るというプロジェクトを展開。地域住民は、以前から打ち捨てられた廃屋の処理を行政に陳情していたが受け入れられなかった。しかしオブジェクトオレンジが、派手な色で塗ったことにより、無関心なまま放置されていた廃屋を行政が撤去し始めた。OOの行為は違法ではあるが、それにより、都市の荒廃を強調・可視化し、実際に行政の動きを引き出すことにつながった。荒れ果てたままの建物を美しく塗り直したら、今度は行政が美化の観点からそれを破壊するという、冗談のような皮肉のような展開に、このプロジェクトの面白さがある。プロジェクトの記録、コンセプトをFlickrで見ることができる。
マーティン・ハイヤーとウィリアム・メバネ(Martin Hyers & William Mebane)は米南部や西部の家を訪れ、その中にある古くなった小物やインテリアなどに、個人を超えたアメリカ全体の古き良き時代の夢を見ようとする。当時は新しく夢のある機械だったものが、それ自体は何も変わらないのに、時間の経過とともに、いつの間にか時代から取り残され、ひっそりと佇んでいる姿を見ると郷愁を誘われる。
ダグ・リカード(Doug Rickard)は、グーグルストリートビューを使って、アメリカ郊外をスナップした作品を出品。新しい技術に依存しているが、ロードムービーのように移動する車から、カメラという機械が、偶然に捉えた風景を集めるという意味では、 従来のアメリカの「路上」を撮影した写真家と同じ手法を踏襲しているといえる。リカードが選ぶ場所は、豊かな都市部というより、貧しい郊外が多い。そのような場所やコミュニティにでも、分け隔てなく入り込み、膨大なイメージを提供するグーグルストリートビューは、従来の写真家とはまた違う、新しい画像の提供者でもある。
■ベレニス・アボット(Berenice Abbott)
・写真集『Documenting Science(科学を記録する)』(Steidl)
・関連サイト: http://www.steidlville.com/books/1291-Documenting-Science.html
科学的な進歩を撮影することに興味を持っていたアボットは、1930年代から科学写真の仕事をしていたが、1958年にマサチューセッツ工科大学の物理学教育プロジェクトのための教科書向けに撮影した写真群は、その集大成であった。物理の基礎原理を説明するために撮影されたこれらの実験写真は、複雑な原理が分かりやすく視覚化されており、美しく創造的であり、同時に非常に有用でもあった。都市の構造を見続けてきたアボットが、世界を成り立たせている法則そのものに向ったことは、その眼差しの深化と捉えることができるだろう。一見抽象的かつ不可思議に見える図像や現象が、物理法則に則っており、それが綺麗に写し撮られていることに感動を覚える。
■ポール・グレアム(Paul Graham)
・写真展「The Present」(The Pace Gallery, ニューヨーク)
・関連サイト: http://thepacegallery.com/
・作家サイト: http://www.paulgrahamarchive.com/
2連の写真で構成されたニューヨークのストリートスナップ写真。同じ場所から、「現在」という瞬間を撮影しただけの写真が2枚並ぶことによって生じる微妙な変化の中に、見る者は時間の経過や、被写体が作り出す架空の物語や展開を思わず想起してしまう。映画などの連続した映像が、実は「現在」という瞬間の積み重ねにしか過ぎないということを、グレアムはたった2枚の写真でよりシンプルに表現している。そして、どこかユーモアに見えるこれらの写真は、私たちの認識の形成における不思議さも表しているようだ。
■ヴォルフガング・ティルマンス(Wolfgang Tillmans)
・写真集『FESPA Digital / FRUIT LOGISTICA』(Buchhandlung Walther König)
・関連サイト: http://tillmans.co.uk/index.php/2012-out-now-fespa-fruitlogistica.html
・作家サイト: http://tillmans.co.uk/
ティルマンスの最新写真集は、ディスプレイ印刷の見本市「FESPA DIGITAL」と、生鮮果物・野菜の流通に関する展示会「FRUIT LOGISTICA」を組み合わせた構成。 印刷と生鮮という全く違ったジャンルの展示会ではあるが、共に不自然なまでに美しく、色鮮やかに物を見せようとする試みは、実物を超えて、何か別のものが生み出されているようで、少しグロテスクな印象さえ与える。それをさらに写真に撮り、隣り合わせで並べることによって、自然の色が 人工的に、そして逆に人工的な色が自然に見えてくる。美しく自然であるものを選びとっているようでいて、実はそうではない現代社会の一面を見せているようでもある。
■マイダー・ロペス(Maider Lopez)
・写真展「Polder Cup(干拓地カップ)」(International Studio & Curatorial Program, ニューヨーク)
・関連サイト: http://www.iscp-nyc.org/events/archive/exhibitions/792/776.html
・作家サイト: http://www.maiderlopez.com/
マイダー・ロペスは、オランダの干拓地で、1日限りのサッカー大会「ポルダー・カップ(Polder Cup)」を開催。干拓地で作られたサッカー場ということもあり、フィールドの中を水路が流れ、ゲームが中断することもしばしば。一見すると河川敷の草サッカーのようだが、水路に落ちる人もいれば、カヤックに乗る人もいたりして、何か新しいゲームのようにも見える。世界的に人気で、共通のルールを持つサッカーでも、プレイするローカルの環境によって、ゲームが変化していくことや、そのルールをお互いのコミュニケーションによって作り出していくことの面白さを、ロペスはアートの力によって見せてくれる。場所に合わせて適応し、その中でルールや面白さを見つける人間の能力も面白い。
■マシュー・ブラント(Matthew Brandt)
・写真展(Yossi Milo Gallery, ニューヨーク)
・関連サイト: http://www.yossimilo.com/exhibitions/2012-05-matthew-brandt/
・作家サイト: http://www.matthewbrandt.com/
マシュー・ブラントのニューヨーク初の個展。4つのシリーズを展示。「Lakes and Reservoirs(湖と貯蔵所)」シリーズは、アメリカ西部の湖の写真を撮影し、そのプリントを数週間から数ヶ月、その湖の水につけておき、プリントを変色させたもの。湖が作った湖の写真。似たコンセプトの「Trees」シリーズは、テキサスのジョージ・ブッシュ・パークにある50本の木を撮影すると同時に、その枝を集め、集めた枝から印画紙を作り、また燃やした炭でインクを作り刷った写真。木で木の写真を作ったとも言える。「Honeybees」シリーズは、ミツバチが大量に失踪する「蜂群崩壊症候群」からヒントを得て制作された。大量のミツバチの死骸を見つけたブラントは、ミツバチを撮影し、それを感材の乳剤として利用したという。蜂を使って作った蜂の写真。「Taste Tests」は、ヨセミテはバーナル滝のモノクロシルクスクリーンを、食品を入れたインクを用い、4色のシルクスクリーンに変換したもの。味覚が印刷に与える実験でもあり、インクが作り出す独特の味を実験しているようでもある。
■「Motor City Muse: Detroit Photographs, Then and Now」
・写真展「Motor City Muse: Detroit Photographs, Then and Now」(Detroit Institute of Arts Museum(デトロイト美術館)
・関連サイト: http://www.dia.org/calendar/exhibition.aspx?id=3569&iid=
・作家サイト: http://www.billrauhauser.com/
・作家サイト: http://www.nicolakuperus.com/
・作家サイト: http://www.davejordano.com/
・関連サイト: http://www.featureshoot.com/2012/09/dave-jordano-photographs-a-gritty-but-hopeful-detroit/
自動車都市デトロイトの昔と今を、写真で振り返る展覧会「Motor City Muse: Detroit Photographs, Then and Now」がデトロイト美術館で開かれた。米国の自動車製造企業を象徴する都市であるデトロイトは、20世紀初頭、未曾有の経済成長を遂げたが、近年、人口の25%が郊外などに離れ、建物の多くが空室になり、公共サービスも税収の問題から悪化、犯罪も多発し、アメリカで治安が最も悪い都市に選ばれるなど、凋落の一途を辿っている。近代的なビルや綺麗な道路がある一方、その多くは空室で、昼間なのに通りを歩く人は少なく、究極的に合理化された無人営業のサービスは、ゴーストタウンの冷たさを浮き彫りにする。
1913年に始まった自動車の大量生産から100年、アメリカの大都市の失敗を象徴する街となったデトロイトを写した写真は、現代アメリカの肖像でもある。出展作家は、デトロイトの人口が最も多かった1940-50年代に訪れて撮影したカルティエ=ブレッソン、ロバート・フランクのほか、デトロイト生まれ、デトロイト育ち、地元の大学で写真を教えたこともあるストリート写真家ビル・ラウハウザー(Bill Rauhauser)のモノクロ写真も。
ニコラ・クピーラス(Nicola Kuperus)は、美しい高級車とその傍らで倒れている女性の演出写真シリーズを撮影。キャプションはないが、何かしらの事件に巻き込まれてしまった上流階級の女性というシチュエーションが、ミステリアスなドラマを喚起させる。クピーラスの写真は、車による移動が、日常から離れたドラマを作る小道具でもあり、舞台にもなってきたことを示唆しているようだ。
デイブ・ジョルダノ(Dave Jordano)は、1973年にモノクロ写真で撮影した場所を、2010年に再度訪れ、カラー写真で撮影し、その2枚を比べることで、今と昔のデトロイトを振り返る。ミシガン・セントラル・ステーションのように、市民に利用されていた公共施設がたった数十年の間に廃墟となるなど、この地を襲った変化と不況の波の凄まじさが垣間みられる。一方で、ホルダノは、近年「detroit-unbroken city(壊れていない街)」という、デトロイトに暮らす人々のドキュメンタリーシリーズを撮影している。廃屋寸前の家や、貧窮し、荒れた生活を送る人々も多くいるが、それぞれ個性的で、家族や隣人と深いコミュニティを形成している様子も見られる。デトロイトプロジェクトには薬物中毒と売春婦をテーマに撮影した「Darkness in the Light(光の中の闇)」もある。ドキュメンタリー写真にありがちな闇の二大テーマだが、ジョルダノは、日中の明るい中、友人や恋人のように、彼女達を路上でスナップした。一見すると普通のポートレートだが、薬の注射あとやバランスの崩れた服装から、身を持ち崩した様子が、ふと浮かび上がってくる。メディアで喧伝されているステレオタイプな荒廃に焦点をあてるのではなく、実際にその場所に行き、そこに暮らす人々から感じた、誇りや優しさ、希望を撮影しようとしているようだ。
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