2010年12月29日水曜日

写真の由無し事

写真を極めた者は、写真を極めていない
写真が極められると思っている者は、写真を極められない
極められないから写真
売れる前は、誰もが売れない写真家
熟れるは売れるではない
撮りたいカメラあり、撮りたい写真なし
写真家は職業ではない
撮るのは始まり、撮るのは終わり
写真評論家をだませても、自分はだませない
写真がカメラを生み、カメラが写真を生む
撮らない時以外は撮っているのが写真家
面白くない写真があるから、写真は面白い
写真が先か、写真の神様が先か
一目で分らない写真かどうかは、一目見れば分かる
写真を生かすのも写真、写真を殺すのも写真
写真があれば写真はいらない
もし写真がなければ写真が発明されていた
撮れないと思っても撮れるのが写真、撮れると思っても撮れないのが写真
完璧な写真は写真でない
写真を撮り続ける限り人は変われる
撮らないと自分がいかに下手かということがわからない
いい写真が撮れないことは写真を撮らなくていい理由にはならない
終わりがないから写真を撮り続ける
写真を撮るのも人間、写真を見るのも人間
写真は今を過去にするし、過去を今にする
分断された世界をつなぐのも写真、分断するのも写真
写真家がいなくなっても写真はなくならない
写真家になれるかは保証できないが、誰でも写真家になれる
育てなくても自然と育ってくるのが真の写真家
他人のために撮るのも写真、自分のために撮るのも写真
流れ去る時間は二度と戻らないことを考えれば、今という時間は全てシャッターチャンス
撮れた時は被写体のおかげ、撮れなかった時は被写体のせい
明日は明日の写真が撮れる
一枚撮れば次の一枚が撮れる
百枚撮るにも、千枚撮るにも、まずは次の一枚を撮らないと始まらない
失敗してこそ真の写真家
考えてから撮っても写真、撮ってから考えても写真
時代がカメラを変え、カメラが時代を変える
悪い写真を撮るのも写真家の役目
食えない写真家、食えない写真評論家
写真にしか見えない写真を撮りたい
悪口がすべて褒め言葉になってこそ真の写真家
写真の才能があるものは才能があることで撮れなくなり、写真の才能がないものは才能がないことで撮れない
写真家に出世払いをさせてくれる店を探すのは、出世払いをしてくれる写真家を探すのと同じくらい難しい
高いカメラを持っている人を褒めるのは撮った写真を見てからでいい
戦争が写真を生むこともあれば、写真が戦争を生むこともある
たくさん写真を撮るものがたくさん撮る時間を持てる
撮る時間を作るのではなく撮っていれば撮る時間ができる
撮れただけでは満足しないのが真の写真家
写真家は写真評論家を写真評論家は写真家を世間はどちらもアホだと思ってる
写真評論家はいい写真と同じぐらいに悪い写真を求めている
写真を超えた写真はない
気合いで撮れるものは気合いがなくても撮れる
売れないことより売れることのほうが恥ずかしくなってこそ真の写真家
写真≒信用のおける嘘
撮れないものを知るために撮る
上手い写真家は撮れないものを撮らない
いい写真だけを並べても、いい写真集にはならない
撮るのも辛いが、撮らないのも辛いのが写真家
撮れる時は何をやっても撮れるが、撮れない時は何をやっても撮れない
写真は写真評論家より雄弁に語る
写真を極めるには、写真を極めるしかない
写真が写真の味方とは限らない
写真では分かりあえないということを分かりあいたい
撮れるまで撮れば撮れる
駄目な写真評論家は写真評論家になる
盗作したくなるような写真を撮るか、盗作したくならないような写真を撮るか
黒くても写真、白くても写真
写真は見るたびに新しい
写真の撮り方は、自分の撮り方か、自分以外の撮り方か、その二種類しかない
いい写真を撮る方法を探すより、自分で編み出した方が早い
写真家になったもののみ、写真家なんかにならなければと思える
撮るタイミングをよく知るものは、撮らないタイミングもまたよく知る
写真はアートになれるが、アートは写真になれない
撮ってはじめて偶然が生まれる
目の前を撮っても写真、世界の果てを撮っても写真
表現しないことは表現することより難しい
速く撮っても写真、ゆっくり撮っても写真
面白いのも写真、面白くないのも写真
写っても写真、写らなくても写真
写ったからといって写ったとは限らない
光の中に影を見つけるのが写真家、影の中に光を見つけるのも写真家
撮るは一時の恥、撮らぬは一生の恥
技術を身につけると撮れるものは増えるが、撮れないものも増える
今日撮るべきものは明日撮れないもの
簡単な写真は難しい写真より難しい
難しい写真は簡単な写真ほど難しくはない
写真は撮れば撮るほど難しくなり、撮らなければ撮らないほど簡単
面白い写真は面白くなくはないが、面白くない写真は面白くもある
写真を殺すのは誰でもできるが、写真を生かすのは誰でもできるわけではない
撮ってみるまで分からないものを撮るのが写真家
量とったから写真家になれるのか、量とれるから写真家になれるのか
撮るものが何もないということを撮っている
写真が生まれる前には良い写真も悪い写真もなかった
良いものを撮ったからといって、良い写真になるわけではない
写真の問題は、問題のある写真がないこと
上手に撮れるのが一流、上手に撮れるものに出会えるのは超一流
家を借りるときに、職業:写真家と書いてこそ、真の写真家
写ることと見えることは違う
サラリーマンや官僚みたいな写真家がいるのではなく、それはサラリーマンや官僚なのである
すべては写真になるが、写真がすべてではない
明日がある人は今日撮らない
問いのない写真に答えなど存在しない
言い訳が写真を駄目にする
今の写真をつまらないと思っている人が、次の面白い写真を作る
写真が終わったと言っているうちは、まだ終わっていない
どんなに悲しくてもボタンを押せば写真は写る
見るために撮るのか、見せるために撮るのか
伝えられるものは伝えられるが、伝えられないものは伝えられない
撮らない理由を思いつかないので撮る
写真とは何かと問うことは、自分とは何かと問うことと同じ
写真は簡単ではないが、難しすぎるわけでもない
写真とは何かとは何かとは何か
写真とは何かとは何か
一言で片付けられない写真は、一言で片付けられないと、一言で片付けられる
「写真らしくないね」が褒め言葉になってこそ真の写真家
面白くなかった写真の中で一番面白かった
写真家にだって面白くない写真を撮る権利がある
撮らなくなるまで撮る
撮るまで撮らない
写真を通して世の中を知り、世の中を通して写真を知る
写真は規則から自由でなければならないという規則
一流は道具にこだわるが、道具にこだわったからといって一流になれるわけではない
撮りたくないものを突き詰めると、撮りたいものが見えてくる
写真家に何の保証もないことは保証できる
壊れたカメラは、何も撮りたくない時に役に立つ
パパラッチが褒められるのは、写真を撮らなかった時だけ
名作が輝くのは俺の駄作のおかげ
撮るのも写真、見るのも写真
人と同じものを撮っても、人と同じにならないのが写真
伊兵衛賞は通過点に過ぎないということを証明したいので、伊兵衛賞ください
10年後も写真を撮っていたいから、今日も撮る
写真がまるくなるとアートになる
未発表の名作写真はない
撮ると見せるは吸うと吐く
飽きっぽい人は写真に向いているが、写真を続けるのには向いていない
自分探しの旅にカメラは邪魔
写真で表現なんておこがましいと言う人で、個展をやっていない人はいない
質なき量は魅力なし、量なき質も魅力なし
近道したものはたどり着けず、道に迷ったものがたどりつけるのが芸の道
いい写真を撮るためには、悪い写真にまみれなければならない
あとで振り返れば、いつの時代も牧歌的
俺の写真を載せない雑誌は潰れるの法則
写真は燃えるゴミ
名作写真とは、俺にも撮れそうと錯覚させる写真のことである
良い写真とは正しい写真のことではない
正しい写真が良い写真ではない
オブラートに包む≒ソフトフォーカス
撮れ撮れ詐欺
ここ撮れワンワン
リンスインシャンプー≒定着液イン現像液
犬のように這い、猫のように捕る 森山大道
写真にしかできないことがあるからといって、写真がやらなくてはならないという理由はない
恋愛と一緒で、しがみつくより突き放した方が、評論家はついてくる
作品をつまらないという評論家は、楽しむ工夫と余裕がないだけ
写真は絵画の実写版ではない
写真の嘘を一番知り尽くした者が、一番本当のような写真を撮る
名作写真には法則性がないの法則
生きるために撮る、撮るために生きる
食べるために撮る、撮るために食べる
時代に背を向けたものが、時代の先頭になる
一番撮りたくなるものは、撮ってはいけないものである
カメラを持っていないと決定的瞬間に出くわす
写真はこうあるべしという伝統は、なぜそうなのかという問いの存在しないただの答えである
分かってほしいのに、分かられたくないのが写真家
写真はカメラではないし、カメラは写真ではない
足で撮る写真、頭で撮る写真
写真に取り憑かれ、写真を撮り疲れ
ブレているのに、一貫してブレていないのが森山大道
写真で夢を見る者もいれば、夢から覚める者もいる
糞のような写真か、写真のような糞か
写真よ、絵画の屍を越えて行け
人間失格、写真家合格
屁理屈で始まり理屈におさまるのが良い写真、理屈で始まり屁理屈に終わるのが悪い写真
認められたいのが写真家、認めたくないのが写真評論家
新しいものが古くなり、古いものが新しくなる
撮るのも自分、撮らないのも自分
下手は上手いに憧れ、上手いは下手に憧れる
下手なのではない、上手くないだけ
今を残せるから写真、今を残せないから写真
撮らなければいけないものを撮るのが写真、撮らなくていいものを撮るのも写真
見たいものを見せるのが写真、見たくないものを見せるのも写真
大きなものを小さく見せるのが写真、小さなものを大きく見せるのも写真
1+1=2なんて思っているようでは、いい写真は撮れない
一枚一枚に一喜一憂しているうちは、いい写真は撮れない
災い転じて写真となす
もうやめようと思った時から写真は始まる
写真は撮っても後悔するし、撮らなくても後悔する
写真を一番知らないのは写真家
アンチもファンのうち
1枚盗撮すれば犯罪、1000枚盗撮して美術館に飾ればアート
写真に未来はないかもしれないが、これから撮られる写真は未来のものである
暗室作業が丁寧な人は、セックスも丁寧というのはガセ
楽して撮っても写真、苦労して撮っても写真
先のことを考えて今撮らないより、今撮って先のことを考えたほうがいい
ライバルがいるから写真が上手くなる
撮るのをやめたとき、人は老いていく
写真はアートのかませ犬じゃない
写真はとうに折り返し地点をこえている
写真で挫折を味わえるのは、写真に挑戦した者だけ
写真家の卵は孵化しない
嘘つきは写真家のはじまり
アート好きな子がお洒落なのか、お洒落な子がアート好きなのか
悪い写真の反対がいい写真ではない
写真は現実のような嘘であり、嘘のような現実である
写真の良し悪しは時代が決める
写真家にはプライベートも仕事もない
つぶしがきかなくなってこそ真の写真家
引き返せなくなってこそ真の写真家
写真は変わった、写真家は変わらない
写真家は変わった、写真は変わらない
写そうとすると写らない
撮れないものがないと撮らない
写真の数だけ真実がある
写真は写真を超えるためにある
「何を撮ったか」「誰が撮ったか」より、「何のカメラで撮ったか」が重要な人が写真雑誌を買う
写真雑誌に一番載りたがる人は、写真雑誌を一番買わない人
スランプという言葉を使っていい写真家は限られている
写真は変わらないが写真を見る眼は変わる
使っているカメラの値段より高く写真が売れるようになったら本物
減点方式の写真審査が蔓延すると、写真は終わる
Wikipediaの「写真」の項目で、「最近はアートとして認められるようになってきた」というところが、要出典になっている
撮ろうと思って撮ったものと、撮ろうと思わずに撮れたものをあわさせて、その境目を上手くなじませられるのが写真家
ストリートスナップ≒ゆきずりの関係
日本写真史にかけられた呪いをときたい
下品はNGだけど変態はOKというのがアート
アル中の写真家は酒に溺れたのではなく自分に溺れた
飲み屋での写真家は酒ではなく自分に酔っている
写真家はいつでも五月病
嫌いな写真の理由は幾らでも説明できるが、好きな写真の理由は説明できない
写真評論家だって社会の歯車の一つ
「写真は終わった」とか「写真は死んだ」とか言ってると名誉棄損で訴えられる
人生の備えは何もせずに、機材が壊れたときの備えを何重にもしてこそ写真家
俺を取りあげてくれる写真評論家が、いい写真評論家
ライバルをくさしてくれる写真評論家が、いい写真評評論家
森山さんが撮った写真を積み上げると月まで到達するというのはガセ
いいもん食っていながら、いい写真撮る奴が一番むかつく
ステーキなんか食ってたら、いい写真を撮れないだろ
近況報告がわりに個展
パクリ論争の根底にあるのは「撮ったもん勝ち」の思想
編集者や写真評論家とそりが合わないのを血液型のせいにしてこそ真の写真家
いい写真を撮るコツは、いい写真を撮ったあとに見つかる
disりたい写真家なんていないっていうのが最大のdis
印籠代りにライカを取り出す
写真を超えられるのは写真だけ
10人に好かれる写真より、10000人に嫌われる写真を撮る
スランプだから撮らないのか、撮らないからスランプなのか
「女でも新宿撮るんだ」≒「女でも性欲あるんだ」
「写真に正解はない」って言うけど、それは間違った写真がゴミのようにあるからそう思うだけで、写真にだって正解はある
「アートに正解はない」って言うけど、それは間違ったアートがゴミのようにあるからそう思うだけで、アートにだって正解はある
写真評論家という生き方も処世術の一つ
ゴミをわざわざ拾ってきて「これはゴミだ」っていうのが評論家の仕事ならゴミ以下
写真とは何か分からない限り、写真は生き続ける
写真とは何か分かった時、写真は死ぬ
死にたくなったら、明日撮れるかもしれない写真のことを思う
「私と写真、どっちが大事なの?」って言われたことがない写真家は駄目だ
「デジカメを使うような男には娘はやれん」と説教された
子供の時はジャイアンリサイタルってひでえなと思ってたのに、大人になって個展のDMを配りまくる俺がいる
賢い主婦はサランラップを使って自作レンズフィルターを作る
収納上手な主婦なら、画像のフォルダ分けもお手のもの
渡る世間は自称写真家ばかり
普通に上手い写真より、極端に下手な写真のほうが色々考えさせられる
一枚の写真で全てを語る≒一撃必殺
シズル感≒つゆだく
気づいたら今死んでもとうに夭逝って歳じゃない写真家の自分がいる
今死ねば夭逝した写真家になれるんじゃないかっていう誘惑と日々闘う
「写真家なら死ぬ時は暗室」って思っている人がいなくなった時が銀塩写真の終焉
かつて共産圏では、ライカはブルジョワ的とされ、代わりにLOMOが生まれたというのはガセ
今ライカを買うと、没落貴族の気分が味わえる
今の画素数競争が行き着く先は、大艦巨砲主義がたどった悲惨な末路
写真はいつまでもアートのところで居候しているわけにはいかない
写真もいつまでもアートの軒先を借りているわけにはいかない
写真は派遣もニートもひきこもりも受け入れる
写真は見た目が10割
写っているものが面白くないから、写っていないものについて語るようになったのが写真評論の始まり
写っているものが面白ければ、写っていないものについて語る必要はない
世界がもし100人の写真家の村だったら、自分の撮りたい写真だけを撮って生活できている人は0人です
「作品に対するご意見・ご批判大歓迎です!」は、「野暮なこと言うんじゃねえぞ」フラグ
シャッターきった瞬間に武者震いがおきるぐらいじゃないと駄目だ
果てしない「写真はアートか?」論争は、永久機関と化した
写真家と写真評論家のdisり合いは、永久機関と化した
童貞以前以後って、写真評論で論じられないけれど、それって大した問題じゃないってことか
シャッタースピードはいつか音速を超える
写真は写真でしかない、ただそのことだけが写真の魅力
面白くない写真はいくらでも撮れるが、いくらでも撮れる写真が面白くないとは限らない
スパイカメラ持ってたら、スパイってばれるだろ
写真とは写真であり写真家ではない
目に見えるものを撮るのがカメラマン、目に見えないものを撮るのが写真家
写真では写らないものにこそ本当の価値がある
撮れたものより撮れなかったもののほうが大事
写真が好きな人が読むのがカメラ雑誌、写真が嫌いな人が読むのが写真雑誌
「写真はアートか?」≒「バナナはおやつか?」
ノーファインダー≒心眼
コンセプトやテーマって画竜点睛の点みたいなもの
アート写真を全部18禁にしたらみんな見ようとするんじゃない?
風水的に暗い暗室は良くない
日本語ラップを笑うなら「西洋美術」も笑え
家に帰るまでがロケハンです
どんなにたくさんの人に褒められても、自分が好きな評論家に褒められないと満足できないのは恋愛と一緒
批評されて一人前に育つというけれど、批評なんてしてもらえる時点で、すでに一人前
壊れて捨てたカメラが夢の中に出てきて、「また元気になったら一緒に旅行に行こうね」とけなげに言うた
最近のカメアシは、指示を出すと「はい、よろこんで」と言いやがる
「そういえば、最近LOMO見なくなったよね」とみんな言うようになったら、LOMOを買う
写真家に接すると、常識人の俺が何故写真家になれなかったかがよく分かる
臭いものに蓋をするような写真でも撮るか
重箱の隅をつつくような写真でも撮るか
神様の撮る写真は、俯瞰がデフォルト
天国って、写真もアートもなくて、平和でいいところなんだろう?
「マスターベーション的作品」という批判には、「仕様です」と反論すべし
写真をアートと信じられるなら、鹿を馬と思い込むことなんて簡単
小学校の音楽室みたいに、写真学校の暗室には偉大な写真家の肖像画を飾るべき
絵画≒.bmp/写真≒.jpg/メディアアート≒.swf
ベッヒャーはベッヒャー派ではなかった
写真を見て分かることは、写真を見ただけでは何も分からないということ
少年犯罪が起きたとき、漫画やゲームのようにアート写真も規制されるぐらいじゃないといけない
俺が写真を選んだのではなく写真が俺を選んだ
俺が写真家なんて名乗れるのは、まともな写真評論家が少ないおかげ
まともな写真評論家が少ないのは、まともな写真家が少ないから
馬主になったらキムライヘエショーと名付ける
馬主になったらシャシンシンセイキと名付ける
写真をどれだけ好きになっても片思い
写真とは◎※Z△#@;★である
写真の前ではみな平等
俺の写真を好きという奴は信用しない
受賞が決まったときに「こんなどうでもいい賞いりません」と言える者のみ伊兵衛賞を批判して良し
写真について考えるということは、人生について全く考えていないということ
写真について考えるということは、人生について考えるということ
写真論で飯は食えないが酒は飲める
写真で飯は食えないが酒は飲める
写真がアートとしてちやほやされているのは、実はドッキリ
悪質なパクリか偶然の空似かを判定する装置を作ったら神
日本写真史も夢オチで片付けられたらいいのに
とどめをさしてくれと写真が言っている
tumblrは情報の海におけるキャッチ&リリース
撮っていいものに興味はないが、撮っていけないものには興味がある
自分の写真をコンテンツと呼んでほしい人がカメラマン、呼んでほしくない人が写真家
自分の写真をコンテンツと呼べる人がカメラマン、呼べない人が写真家
男を変えるたびにカメラを変える
女を変えるたびにカメラを変える
写真さえあればカメラはいらない
「コンセプトがない写真は落とします」って募集要項に書いておいてくれないと
写真家がボケなら写真評論家はトボケ
写真家がボケなら写真評論家はツッコミ
「写真なんてくだらないことはやめろ」と親父に言われたので今もやってる
俺は暗室の中でできた子供
「日本人にハッセルが人気なのはお辞儀の国だから」というジョークが海外にあるというのはガセ
DNAが撮れと囁く
細胞が撮れと囁く
写真のキャプションに機種依存文字
写真のキャプションに絵文字
ラボに「マット加工するとエッジが効いてない写真になりますけどいいですか?」と言われた
偽善的と批判される写真家が、悪ぶっているだけの偽悪的写真家を批判
ぎっくり腰の瞬間を撮ったことある人いますか?
写真の神様が地上に降りてきた時の仮の姿は林家ペーと夢想してみる
写真の神様は、写真発明以前どこで何をしていたのだろうか
平成生まれの写真評論家
写真集の奥付に「実在の人物、団体等とは一切関係ありません」って入れるべき
写真集の奥付に「写真はイメージです」って入れるべき
死亡記事がすでに用意されてこそ真の写真家
シャッターを切るたびに正の字をつけるほどの几帳面さ
大事な撮影の時は勝負パンツ
見ることが職業の写真評論家が思わず目を閉じてうっとりするような写真を撮りたい
世間の非常識、写真の常識
写真の常識、世間の非常識
「そんな写真家に育てた覚えはありません」
タクシー運転手をしながら東京の夜景を撮り続ける流しの写真家
長い批評には巻かれろ
tumblrは人のためならず
写真発明以前、たとえ世界一の権力者でもパンチラ写真を見ることはできなかった
コックリさんに「写真はアートですか?」と聞いたら「いいえ」に進んだ
コックリさんに「写真は死んだのですか?」と聞いたら「はい」に進んだ
ライカ童貞
お洒落っ子がぶら下げているカメラは伊達カメラ
伊兵衛賞を憎んで、写真を憎まず
伊兵衛賞を憎んで、受賞者を憎まず
写真史を大きく二つに分けるなら、フォトショップ以前以後
現代アートの威を借る現代写真
ひとつぼの中の蛙大海を知らず
ストリートビューは森山大道の夢を見るか?
「絵画のような写真」を否定する人が撮る写真は、結局「写真のような写真」に過ぎない
「カラオケ」や「カロウシ」と違って「シャシン」は海外では通じない
すべての道は写真に通ず
「写真とは何か」、一休さんなら答えられたに違いない
俺の写真集、スピルバーグが映画化しないかなあ
一目見てPTAが眉をひそめるぐらいの写真じゃないと駄目だ
一目見て子供が泣き出すぐらいの写真じゃないと駄目だ
6つ切りでちまちま焼くのは、ロックを小さな音量で聴くようなもの
人間露出計コンテスト
アサカメの写真コンテストに獄中の死刑囚からの作品が投稿されているというのはガセ
卒論『写真を撮るときのかけ声に見る世界のお国柄』
「この写真のテーマは何ですか?」と聞かれた時に、「黙秘します。写真だけ見てください」という権利が写真家にあっても然るべき
忘れるために撮る
プロポーズの言葉は「明日地球が滅ぶとしたら最後に君を撮りたいぐらい好きだ、結婚してくれ」に決めている
最近の中学の英語の教科書に「これはゴミですか?」「いいえアート写真です」という例文が載っているというのはガセ
近未来、高度に発達し意思を持つまでにいたった監視カメラがやることはのぞき
空いた壁を見るとギャラリーができないか考えてしまうのは、強迫神経症の一つの症例
夢の中にカメラを持っていけたら、どえらいものを撮れるのにといつも思っている
森山大道さんが新宿区の名誉区民というのはガセ
考えながら撮る、撮りながら考える
うちの親父は堅気だから、酒も博打も写真もやらない
写真家の座右の銘、一番多いのは、「一期一会」
ずれないカメラストラップを大手ブラメーカーと共同開発
宇宙人を撮った写真は見飽きたので、宇宙人が撮った写真が見たい
自主ギャラリー設立時にマニフェストを義務付ける条例が成立
スポーツに「たら・れば」はないが、写真は「たら・れば」の集まり
写真は世の中を変えられないかもしれないが、写真家は世の中を変えることができるかもしれない
写真家は世界で682番目の職業
撮る前に指差し確認
ブレを減らすためには、ガチガチの筋トレよりもインナーマッスルの鍛錬が効果的
ぼくらの平坦な戦場カメラマン
このご時世、ボクサーの次にハングリーなのは写真家
あの頃のライブドアなら写真界を丸ごと買えた
金八先生が、写真家になりたいという生徒を涙を流して諭す回があったというのはガセ
今からモノクロプリントを始めれば近いうちに人間国宝になれるかもしれない
このままモノクロプリントを続ければ近いうちに人間国宝になれるかもしれない
写真家版人生ゲームのゴールは、ワイドショーのコメンテーター
未現像のフィルムを瓶につめて海に流し、拾った人が現像して完成というアートを思いついたが、流れ着くころにはフィルム現像なんていうものがなくなっていそう
写真展の芳名帳に死んだ友人の名前
写真家一揆
写真家やめますか、それとも人間やめますか
連休が別に嬉しくなくなってこそ真の写真家
曜日感覚をなくしてこそ真の写真家
「キャノンじゃなくてキヤノンだよ」と親切に教えてあげたら、学校裏サイトでいじめられた
「使い捨てカメラ」の時代が終わり、今や「使い捨て写真家」の時代
犬も歩けばストリート写真家に撮られる
職質童貞のストリート写真家
勘当の原因になった息子の一言、第一位は「写真家になりたい」
モデルを脱がせるコツをグラビアカメラマンに聞いたら、「太陽と北風」の話をされた
公式サイトをもっている写真家はくさるほどいるが、非公式なサイトが立ち上げられる写真家はほとんどいない
「無職・自称写真家」を商標登録
本当に多くの人に自分の写真を見てもらいたかったら、写真展よりWinny
原宿にアラーキーのタレントショップがあったというのは都市伝説
野球が9回2アウトからなら、写真は36コマから
写真家になりたいという若者を思いとどまらせることは人命救助とほぼ等しい
プロの写真家にラッキーショットはない
お金をかけて木村伊兵衛賞の受賞者を予想したとして賭博罪で逮捕
打たせて撮る
太くて短い写真人生が目標
日本人の写真集に通底する七五調
写真家にならなければ犯罪者になっていた
フィルムも撮れるハイブリッドデジタルカメラを開発
ベッヒャー・シューレの根底にゲルマン魂
夏はTUBE、みたいな写真家がいてもいい
「和製○○○」と呼ばれた写真家は大成しないというジンクスと戦う
ロケハンは強いが、本番に弱い
真家が名誉棄損で告訴
木村伊兵衛賞の落選者から振り返る日本写真史
木村伊兵衛賞受賞の経済効果
赤ダーマト先生
流しのスタジオマン
国語3、算数2、社会3、理科1、写真5
日本人写真家にはマリーシアが足りない
フィルムカメラの滅亡は、ノストラダムスの予言にあったというのはガセ
ベースボールではなく野球、フォトグラフではなく写真

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